2008年09月23日

遠野巡礼記(4) 民話編

遠野は「民話のふるさと」として広く知られていますが、そのきっかけの一つに、柳田國男氏の『遠野物語』が挙げられます。柳田氏は日本民族学の祖と言われ、『遠野物語』は日本民族学のもっとも代表的な古典とされています。『遠野物語』は、柳田氏が地元の佐々木喜善氏から遠野に伝わる民話を聞き、それをまとめたものです。

遠野市立博物館では、『遠野物語』を生んだ柳田氏、佐々木氏の経歴、『遠野物語』の草稿や、両人がやりとった手紙などの貴重な資料が展示されています。このほか、自然とともに暮らしてきた、遠野の昔の暮らしを紹介するコーナーや、遠野の民話を映像で上映するマルチスクリーン・シアターなどがありました。シアターの上映は1日7回行われ、約20分上映されます。(残念ながら私が来館したときはすでに当日分の上映は終了していて、見られませんでした。)

とおの昔話村こちらは「とおの昔話村」です。この建物は、「柳翁宿(りゅうおうじゅく)」と呼ばれており、市内にあった旧高善旅館を移築したものだそうです。柳田國男氏もこの旅館に泊まり、民俗学の調査・研究をしていたそうです。中は明治・大正時代の雰囲気を再現しており、歴史の重みを感じさせます。この建物の離れには、酒屋の蔵を活用して作られた「物語蔵」があり、『遠野物語』と柳田國男氏に関わる資料や、遠野に伝わる多くの民話を伝える昔話ボックスが展示されています。また、座敷わらしにまつわる民話の映像上映もありました。

さて、皆さんは、昔話の出だしは「むかしむかし、あるところに・・・」で始まるのをよく耳にしていると思いますが、遠野をはじめとする岩手県あたりでは、「昔、あったずもな」で昔話が始まります。そして、「めでたしめでたし」という締めの部分は、ここでは「どんどはれ」と締めくくります。NHKの連続テレビ小説の『どんど晴れ』はここから来ています。この出だしと締めは、地方によってまちまちだそうです。

ここから少し離れた語り部館では、語り部のおばあさんが生で昔話をしてくれます。囲炉裏をあつらえた舞台におばあさんが座り、お客さんは席にこしかけて聞きます。通常は1日3回行われるのですが、夏休みの間は1日5回行なわれます。この日は、鈴木ワキさんという87歳の「年をとりすぎた(本人談)」おばあさんが、地元の方言で昔話を聞かせてくれました。時折、お客さんに気さくに話しかけて場を和ませていたのが印象的でした。

鈴木さんが話してくれたのは「オシラサマ伝説」。娘が馬を可愛がるうちに、とうとう夫婦になってしまったことに怒った父親は、馬を桑の木につるして殺し、首を切り落としてしまいます。すると、馬の首は天に昇り、それにすがった娘とともに消えてしまいます。馬を殺してしまったことを嘆く父親。その夜の夢枕に、娘と馬が現れ、桑の木に馬の首にそっくりな虫が居るから、それを大切に育ててくれ、と言い残します。その虫が蚕で、父親は供養のためにその蚕で娘と馬の首をかたどった人形を作り、それは「オシラサマ」と呼ばれて祀られるようになったそうです。

地元の方言で話されているので、細部でわからないところも出てきますが、よく聞いていれば話の大筋はだいたい掴めるので、気軽に聞きに行ってはいかがでしょうか?


今度は、『遠野物語』の舞台を実際に訪れてみましょう。訪れたのは、『遠野物語』の増補版にあたる、『遠野物語拾遺』第11話に登場する「続石」です。

yamamichi

「続石」は千葉家の曲がり家の近くにあります。険しい山道を登っていきます。ここらへんはクマも出没するそうです。
なので登る際は、音を鳴らせるものをお持ちください。
万が一、出会ってしまったら、死んだフリを、、、しないでください。
(自殺行為です。)

tudukiishi山道を登りきったところに、この「続石」はあります。この「続石」は、古代人の墓という説もありますが、『遠野物語』では武蔵坊弁慶が足をかけて、台石(下の二つの岩)の上に笠石(上の大きな岩)を置いたと言われています。弁慶は、最初は笠石をすぐそばの岩の上に置いたのですが、その岩は「おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だ」と言って、一夜じゅう泣き明かしたので、結局弁慶は笠石を台石の上に置くことにしたそうです。その一夜中泣き明かした岩は、今では「泣き石」と呼ばれて、「続石」のそばに立っています。あの弁慶ならなんとなくできそうな気もしますね。

次回は巡礼記最終回。釜石を訪れます。

posted by チューシン倉 at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖地巡礼 | 更新情報をチェックする
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