2019年04月10日

【原恵一ヒストリア(2)】初監督作品での葛藤と挑戦『エスパー魔美』

最新作『バースデー・ワンダーランド』の公開と、原恵一監督の還暦を記念し、原監督のこれまでを振り返る解説・コラム記事を公開します。ファンにとっては常識レベルの話も出てくると思いますが、復習も兼ねてお読み頂けると幸いです。なお、文調はいつものとは異なりますのでご了承ください。また記事内は敬称略としております。
  1. アニメ演出家としての原点『ドラえもん』
  2. 初監督作品での葛藤と挑戦『エスパー魔美』
  3. ネタがない。その苦しみから始まった。~オトナ帝国へ至る道(1)~『クレヨンしんちゃん』
  4. あの時代を反芻し、今を生きる。~オトナ帝国へ至る道(2)~『クレヨンしんちゃん』


【原恵一ヒストリア(2)】初監督作品での葛藤と挑戦『エスパー魔美』

『ドラえもん』で頭角を現した原は、シンエイ動画で『エスパー魔美』の企画が上がると、参加させてほしいとプロデューサーに頼み込む。当初は演出の一人として参加できればと考えていた原だったが、意外にもチーフディレクターとして抜擢され、当時20代の若さでテレビアニメを初監督することになる。これで自分の思うように『エスパー魔美』が作れる。そう意気込んでいた。

だが、原を待ち受けていたのは、人気原作がゆえの、さまざまな方面との軋轢だった。超能力が使えるが、決して万能ではない平凡な少女として魔美を描こうとした原だったが、地味すぎる作風にテレビ局からは「もっと派手なものを」と要求される。オープニングの絵コンテへのダメ出しが続き、本当に髪の毛が逆立ってしまうほど頭にきたことも。初回の放送が始まる前にやめたいと考えたほどだった。

しかし、自ら参加したいと言った以上はやるしかない。その意地で、原は愚直に作品を作り続けた。やがて作品は次第に視聴者から好評を集め、プロデューサーやテレビ局もその出来に納得してもらえるようになった。原作と真剣に向き合い、その良さを守り通そうとしたことで周囲の評価を勝ち得たのだ。それから中編の劇場作品の制作が決まり、原は映画監督としてのデビューを果たす。原作の一編「人形が泣いた!?」をベースに、若い人形劇団員の夢と挫折を描いた『エスパー魔美 星空のダンシングドール』は、若者たちの心情をリアルに描ききり観客の共感を誘った。その後テレビシリーズでは、原作を使い切ったあともアニメオリジナルで作品を作り続け、「俺たちTONBI」では自ら初めて脚本を書いた。それらはのちに2017年の東京国際映画祭で特別上映もされるほどに評価を高めた。結果的に『エスパー魔美』は2年半にも及んで放送された。

原は『エスパー魔美』を通じて、藤子・F・不二雄がいかに優れたクリエイターだったかを痛感したと振り返る。凡人にはとてもかなわないレベルの知識量に、シリアスとユーモアがうまく混ざり合ったストーリー構成。アニメオリジナルのストーリーを作るなかで、藤子はどうしてもたどり着けない存在として立ちはだかっていた。そんな中で「俺たちTONBI」のような原作に負けないと自ら思える作品を作り上げたことは、原にとって大きな糧となったに違いない。原は藤子作品に関われたことが、後の自分にとって大きなプラスとなったと公言している。葛藤を乗り越え、偉大な存在に臆することなく立ち向かっていく。原の挑戦するスタイルはここで確立されたと言っても過言ではなかろう。

(つづく)


posted by チューシン倉 at 08:00| Comment(0) | 作品評 | 更新情報をチェックする
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