2019年04月17日

【原恵一ヒストリア(3)】ネタがない。その苦しみから始まった。~オトナ帝国へ至る道(1)~『クレヨンしんちゃん』

最新作『バースデー・ワンダーランド』の公開と、原恵一監督の還暦を記念し、原監督のこれまでを振り返る解説・コラム記事を公開します。ファンにとっては常識レベルの話も出てくると思いますが、復習も兼ねてお読み頂けると幸いです。なお、文調はいつものとは異なりますのでご了承ください。また記事内は敬称略としております。
  1. アニメ演出家としての原点『ドラえもん』
  2. 初監督作品での葛藤と挑戦『エスパー魔美』
  3. ネタがない。その苦しみから始まった。~オトナ帝国へ至る道(1)~『クレヨンしんちゃん』
  4. あの時代を反芻し、今を生きる。~オトナ帝国へ至る道(2)~『クレヨンしんちゃん』


【原恵一ヒストリア(3)】ネタがない。その苦しみから始まった。~オトナ帝国へ至る道(1)~『クレヨンしんちゃん』

「来年どうする?」「もう出せるものがなにもないよ」
プロデューサーにそう促されても、原にはもうネタが無かった。

原は『エスパー魔美』を終えた後、海外放浪の旅に出て帰国したのちシンエイに戻り『21エモン』のチーフディレクターに就任。しかし思うように視聴率がとれず、一年も経たずに放送終了に。そして後番組の『クレヨンしんちゃん』に、原は本郷みつるチーフディレクターのもとで演出の一人として参加。当初は半年間だけとされていたが、予想外の反響を呼び視聴率は30%近くまで上昇。子どもたちがしんちゃんの言動を真似し始め、PTAから子供に見せたくない番組と問題視されるなど社会現象を巻き起こした。やがて劇場版も作られることになり、4作目『ヘンダーランドの大冒険』までは本郷みつる監督のもと、原は絵コンテ・演出として関わり、本郷監督降板後の5作目『暗黒タマタマ大追跡』から10作目『アッパレ!戦国大合戦』までの劇場6作品の監督を務めた。

始めのほうこそ、好きな映画のパロディや自らの趣味嗜好も取り入れて、映画に反映させていたことに原は楽しみを覚えていた。『雲黒斎の野望』では時代劇にのめり込んで本格的な決闘シーンを見せたり、『温泉わくわく大決戦』では伊福部昭の音楽をそのまま使い『ゴジラ』へのオマージュを捧げた。だが、その一方で次第にアイディアを捻り出すことに苦しさを覚えていた。もうネタが無いと思いながらも毎年作らねばならず、苦し紛れでネタを捻り出しては、類型的な構成で作っていくという始末。やがて、興行収入も毎年下がり続け、とうとう映画の打ち切り話が浮上。最後のチャンスとして、公開期間も予算も減らし、純粋に子どもたちに喜んでもらえるものを意識して、原は『嵐を呼ぶジャングル』を制作。原はこれでもうしんちゃんの映画は終わりだと思い込んでいた。

ところが皮肉なことに興行収入が前作よりも上がり、翌年も映画を作ることになってしまう。翌年のネタをどうするかプロデューサーと打ち合わせていた原だったが、彼には出せるものがもう何もなかった。

困った挙句、原はふと来年が2001年で21世紀を迎えるということを思い出し、そこからスタッフとの雑談で、原は小学生の頃に行った大阪万博の話を持ち出す。月の石が見られなかったなど思い出話に花が咲き、そこから話が発展して、来年の映画のネタになっていく。ここまでは、いつもの映画制作のきっかけであることは容易に想像できる。原自身も、当初はおバカな悪役が出てきて、最後はしんちゃんにコテンパンにやられるといういつもの展開を当初は考えていた。

だが、そこからあのような映画になるとは誰が想像できただろうか?
(つづく)


posted by チューシン倉 at 22:49| Comment(0) | 作品評 | 更新情報をチェックする
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